手紙


先日うちに届いた一通の手紙。

Dear Jean

年賀状どうもありがとうございました。
いつもJean’s blogをチェックしているので、これからもたくさん更新してください。
いつもいつも楽しませてもらっています。

JECに、また通いたいです。
毎回すごく楽しかったので、あの日々が恋しいです・・・
日々の出来事をJeanに話せるのがすごく楽しくて、毎回何を話そうかなー?ってすごく考えてました。

オーストラリアへの留学が決定しました。
出発まで英語の勉強何をすればいいですかね。
英語で日記を書いたり、i podの英語を聞いたりとかしかできてなくて、どうしたらいいかちょっとわからなくてとまどってます。
アドバイスもらえたらうれしいです!!

大学は1年間休学するので、来年もう一年大学に通うことになるので、来年一年間はもう一回JECに通いたいと思ってます。
もう部活もなくなっているので、バイトして稼いで、自分の力でJECへ通います。

カナダへのワーホリ(ワーキングホリデー)はいつ行こうか今考え中です。

中略

青年海外協力隊とか、ワーキングホリデーとか、やりたいことがまだまだ盛りだくさんすぎて・・

オーストラリアに行ってもメールとかするかもしれないです。
Jeanも忙しい日々だと思いますが、体には気をつけてくださいね。

Sherry

最近の若者は、夢がないとか、不況の世の中で育ったから元気がないとか、よく聞くじゃないですか。
そんな中、こういう子を見ると、Jean先生、感動しちゃいますよ。

Sherryちゃんは、私の中学校の教え子の後輩である。

JECで英語を始め、カナダに留学し、いろんな世界の友達をつくり、現在タイで日本語学校の理科の先生をしている先輩にあこがれて、JECに通いだした。

いろいろと事情があって、JECには来れなくなったけど、こうやってがんばってるところがまたえらいね。
そして、こうやって、わざわざ手紙をくれるところがまた、うれしいね。

Sherryちゃんちは、大家族。
お姉ちゃん、お兄ちゃん、弟二人の、5人兄弟。

一回、福岡に住むおにいちゃんが遊びに来ているということで、一緒にレッスンを受けたこともあった。

なんかさ、勝手な思い込みかもしれないけど、家族が多い子って、いろいろわかってるよね。
大人への対応とか、あいさつだとか、思いやりだとか。

おもしろいお兄ちゃんに相当笑わせられて、はぁはぁ笑いながらのレッスンだったけど、たった50分でも、この子達、ほんといい子だなーと感じた。

これからも、いろいろあると思うけどさ、こうやって、「楽しく生きる力」っていうのが大事で、それをもっていると思う、Sherryちゃんも、お兄ちゃんも、これからがとても楽しみだね。

年に何回か、じんわりと、

「あーこの仕事やっててよかったなー」

って思うことがあるんだけど、この手紙を読んだときに、その感情がわいてきた。

今は、こうやって、英語が好きだとか、海外に行きたいとか、いろんな人と話したいとか、積極的なタイプの人たちに英語を教えているから、そういう意味では、とてもやりやすい。

中学校に勤めているときは、もちろん英語なんてやりたくない子がいっぱいいて、思春期ということも重なり、まずは全員に教科書を開けさせるということから、という感じだったので、それと比べたら楽になったもんだ。

中学校の先生というのは、英語を教えるという仕事は、たくさんある仕事の中の一部であり、担任の仕事というのがとてもたくさんあり、他にも部活もあるし、行事もあるし、本当にめまぐるしく忙しかった。

学生時代から家庭教師や塾で英語を教えていていたし、カナダで勉強もしてきていたし、英語教育に関しては自信があったのだが、若い新任の女の私の授業を、中学2年生たちは、あまりまじめにやらなかった。

英語の先生たちは、学校に5人いた。
英語主任の先生は、とてもこわい女の先生だった。
根はいい人なんだろうが、とにかく生徒にも同僚にも厳しかった。
しかし、中学生たちに、ちゃんと授業を聞かせ、集中させるのが上手だった。
今考えると、よく50代の女の先生が、あの中学生たちにそうさせていたなと思う。

私はどちらかというと、生徒と仲良くなりたかったから、甘かったと思う。
反抗期まっさかりで、授業中寝ているような生徒のところには、その子の机に行き、「ほら、がんばるよ」と言って、個人で話すように心がけていた。

どういうやり方でも、それぞれ先生の個性があっていいと思うのだが、結果的に、私が教えているクラスだけ、英語の成績が悪いということが起こった。

怖い女の先生に呼ばれ、

「どうしてあなたが教えているクラスの平均はこんなに悪いの」

と言われた。

悔しかった。
すごく悔しくて、トイレで泣いた。

それから、どうやって授業をしたのか覚えていない。
どうすればいいのかわからず、特にたいした対策をしなかったのかもしれない。

生徒たちとの付き合い方がわかってきて、大勢の中学生たちに教えるコツがわかってきたからか、だんだんとクラスの平均は上がっていき、結局2年目からは、私が担当していたクラスは、比較的いつも平均は良くなるようになっていった。

それと同時に、私の自信も回復され、私のやり方で英語を教え、生徒たちと4年間の中学校生活を送った。

中学生だから、情緒不安定なのは当たり前。
だけど、そういう子達の相手を毎日するのって、ほんとに大変だった。

愛情不足の女の子は、毎日こちらが愛情を注がないと、何をするかわからなかった。

私には理由のわからない、登校拒否の子もいた。

教室から飛び出して、いなくなった子をみんなでさがしたこともあった。

家出をした生徒が夜中家に来たこともあった。

そこの親に、私がしこたま怒られたこともあった。

大変だった。
ほんとーーに大変だった。

先生1 「先生、先生のクラスの○○○○が、制服の下に赤いシャツを着てましたよ。」

とか言われるのも、すごくいやだった。

Jeanの心の声 (別にえーじゃないか!そんなこと!!)

Jean 「はい、すみません。」

普段から、いろんなことで怒られている彼の、どうにかしていいところを見つけてほめようとしているところに、こんなことで、また小言を言いたくなかった。

あーつかれるーもーーつかれるーー
と思っていた。

だけど、生徒たちは、基本的に、無条件に好きだった。
子憎たらしい子もいっぱいいたけど、まぁ子どもって、なんだろ、なんか、理由なしにきっと好きなんだろう。

大変だったからこそ、
「はーーこの仕事しててよかったな」

と感じることは多かったように思う。

結局、中学校は4年でやめた。

次は島に転勤だったり、公務員体質が性に合わなかったり、学校の先生というプレッシャーを社会から感じたり、生徒指導が大変だったり、といろんな理由があると思うのだが、一番の理由は、

私は英語を教える仕事がしたい

ということだった。
これは、昔も今も変わらないし、そういう意味では、仕事を変えたのはよかったのかもしれない。

それから大手英会話スクールに勤め、プロの教えるノウハウを学んだ。
そりゃ、公務員に比べたら、給料は大分低くなったけど、なんと言っても、メインは「英語を教える仕事」だったから、それは楽しかった。

まぁ、そっからピースボートに乗って、独立して、って今のJECがある。

今も当時もずっと変わらないけど、私が言われて一番うれしいのは

「Jeanのおかげで英語が好きになりました。」

ってやつだね。

今も、そういう子達、人たちが近くにいるということを感じる瞬間に、私はまたパワーをもらい、それをその人たちや、また新しい人たちに返していくし、そうやって、いいパワーが循環していくんだよ。

うん、いい締めだ。

それにしても、Jean先生、固いな~
このときの自分に言ってやりたい。
ストッキング白すぎだぞー

結婚式に中学校の生徒が来て、歌を歌ってくれたときは、私だけじゃなくて、会場にいた多くの人が、感動した。
そのときに、みんなをまとめてくれたのが、さっき書いた、愛情不足で何をするかわからない女の子。
教育って、見返りを求めてはいけないものなんだけど、愛情を返してくれてありがとね。

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