私が中学校英語教員をやめた本当の理由


おばんです。

Jeanです。

今日のあなたへの英語レッスンは、こちら。

If you feel like giving up, just remember there is a little girl watching who wants to be just like you…

「もし何かをやめたくなったときには思い出して。

あなたのようになりたいと思っている、小さい子がいるということを。」

Don’t disappoint her.

「その子をがっかりさせないような生き方ができるといいですね。」

訳:Jean

だいぶん意訳しましたね。

覚えたい文法事項 feel like –ing : ーしたい気がする

ここでもよく紹介している表現、日常的によく使います。

はいはい、さてさて。

今日は、真面目な話をしよう。

昨日、わざわざ新幹線代を払って、福岡まで受けに行った英語教育セミナー。

ものすごくいい、生の情報をゲットした。

結論から言うと

2020年までに、大学受験に大革命が起きるらしい。

現在の状況:リーディング200点、リスニング50点

6年後:リーディング、リスニング、スピーキング、ライティング (配点未定)の、いわゆる4技能が問われる試験になる

良かった。

私がうちでやってる、私がいいと思ってやってることって、やっぱり間違ってなかった。

思えばそれは、私が18歳のころ、大学一年のころ、初めて英語圏の国、カナダに一人で行ったときのことに、さかのぼる。

私は、鹿児島の田舎の女子高の英語科で、英語だけは自分なりに結構がんばっていた。

この前ムスメにも自慢したが、200点満点で199点を取るくらい、英語はよくできていたねぇ、18歳の私。

そして、この私の自負なり、プライドなりは、19歳のときにカナダに行ったときに、粉々に砕け散る。

「先生が言ってることはかろうじてわかるが、カナダ人が何を言ってるか、じぇんじぇんわからん。。」

「授業で、ほかの人の勢いについていけない。 発言ができない。」

「自分が習った英語が、実際に使われているのか、微妙。」

あんなに一生懸命勉強してきたはずだった、英語。

なのに、英語圏では、思ったよりも、力を発揮できない自分。

あの気持ちは一生忘れないし、その教訓があり、今の自分がいる。

あのころから、

「将来何になりたいの?」

と聞かれたら

English teacher

と答えていたのを覚えている。

教えることが好き。

英語が好き

じゃぁ、英語を教える仕事がいいじゃん

というのは、とても素直な発想だった。

あの当時の私には、英語の先生といえば、「学校の英語の先生」というのが一番わかりやすい発想で、逆に言うと、そのほかの発想がなかった。

今も昔も、それはあまり変わらないだろうと思うが、

学生の間は、働く人の姿があまりにも見えてこないので、自分が学生だったときにいつも見ていた「学校の英語の先生」という職業は、身近に思えた。

実際のところは、高校英語教師として出願したような覚えがあるのだが、実際に得られたのは、中学校英語教師。

大学生だったころ、ドラムに夢中になりすぎて、大学の成績があまり良くなかったからだろうと思う。

中学校の英語の先生になって、今思うと、充実感と大変さが入り混じっていた。

英語を教える、という行為は、とても好きだった。

中学生が好きそうな音楽をかけて、英語の歌詞を聞き取る、というウォーミングアップからいつも始めていた。

どうやって、中学生に

「英語ってなんか楽しい」

とどれだけ思ってもらえるかと考えながら、授業をしていた。

しかし、同時に、常に感じることがあった。

こんな授業してたって、こんなテスト内容じゃ、今までの私と同じ、

「本当の英語ができる人にはならない」

だってさ、人間、何をしていると、必ず評価をされるし、本人もそれを求める。

人間関係だってそうでしょう。

「あなたは、素晴らしい人だね。」

と言われたら、誰だってうれしい。

英語だって同じなんだ。

テストというわかりやすい評価で100点をもらったら、今までの自分のがんばりが認められた気がして、嬉しいんだよね。

となると、先生も生徒もどこを目指すかというと、

中学生だったら、高校受験のテストで、どれだけいい点数が取れるか、ということになる。

高校生だったら、大学受験のテストで、どれだけいい点数が取れるか、ということになる。

となると、当たり前だが、そのテストでいい点数が取れるか、という教育になる。

じゃぁ、どうして、先生に言われるがまま勉強し、センター試験で200点満点中199点取った私が、1年後に行ったカナダで、あれだけの絶望感のような、敗北感のようなものを味わうことになったのか?

それは、その教育自体が間違っていた、としか言いようがない。

日本では、

「英語ができる子」

と思われていることが、一歩海外に出ると、いかにそのレベルが低いということか。

それは、先生に責任はない。

もちろん、生徒に責任はない。

今までうまくやったことがないんだから、誰もよくわからない。

大学の言語学の先生が言うことが、現場には降りてこない。
果たして、それが現場で使える発想なのかもよく分からない。

いや、本当は、自分なりにわかってるんだ。

実際に、日本を出て、世界の英語の壁にぶち当たり、英語をまた勉強しなおして、英語が使いこなせるようになった人なんて、今はいくらでもいる。

じゃ、これからの日本の英語教育どうするの?

今のままでいいの??

いや、良くない!

今の学校では、一番いいと思う英語教育は、絶対にできないんだ。

それが、私が中学英語教員をやめた、一番の理由です。

正規採用された学校の教員で、やめてる人って、意外と少ない。

正規採用を目指して、何年もがんばってる人のほうが多いんだろうと感じる。

そして、今、自分がやっている、小さい英会話スクールで、自分がいいと思う英語教育をしているところなんですが。

今度は。

そこで、どこの英会話スクールでもぶち当たる壁。

それは

「日本の大学受験システム」

英語って楽しいな。

もっと英語を上手に話せるようになりたいな。

と思う気持ちを阻む要素がある。

それって、大学受験を経験した人なら、わかるよね。

「こんな、細かい文法事項、覚える必要ないわ。」

とか

「実際の会話では使われないけど、テストで出るから覚えましょう。」

とか

そんなうすっぺらなこと、これからの未来を託す子供たちに言えるか?

でも、日本に住んでいる以上は、多くの方が通らなければいけない、大学受験。

リーディングが主な試験のために、単語力、読解力が必要。

逆に言うと、今、一番私たちに必要とされている力、

「コミュニケーション能力」

って、全然必要ない。

「英会話レッスン、楽しくて続けたいんですけど、受験勉強であっぷあっぷで、余裕がないんです。」

と、この前連絡をもらった、高校3年生のお母さん。

2年前に一緒にオーストラリアに行って、

「また絶対行きたい」

と行ってくれたのが嬉しかった。

東大を目指してるという、うちの誇れる優秀な高校生がさ

英会話のレッスン受けたいけど、受ける余裕がない

というのは、逆に言うと

英会話できたって、大学受験には関係ないから、今はやらない

ってことでしょう。

そこのジレンマの中で、私は、

「しょうがない、日本は英語教育においてはまだまだ遅れている国。

私は、自分の教室で、必要な英語の力を子供たちに伝えていく。

そして同時に、日本の受験にも対応できる人材を育てていく。」

と思っていた。

しかし、やっぱり一流の人は違うね。

政治に働きかけて、

「僕は、これまで、日本の受験戦争に勝ち抜くということだけのために、本当の英語の力、コミュニケーション能力を無視した教育をやってきたことに、罪悪感を感じています。

自分の残された人生をかけて、2020年までに、大学受験システムを変えます!

そしてこれからの日本の子供たちに、本当に求められる力=世界で通用するコミュニケーション能力をつけていきます!!」

と言い放った。

そうなんだ、それが私が感じてたことなんだ。

すーーーっと、自分の中で、納得できた。

そんな素敵な人の話が聞けて、とてもうれしかった夜。

安河内哲也先生と。

興味ある方は、ネットで検索してみてください。
最近は、よくテレビにも出てますね。

そして、本当の英語力をつけたい、と思って、それを信じてついきてくれている生徒さんがたが、評価される時代が、遠くない将来来るだろう、と思うと、感動する。

おやすみなさい。。

中島Jean優
英会話のJEC

鹿児島の英会話教室 Jean’s English Class

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