サンタクロースって本当はいないんじゃないの?と言われたら。


おばんです。

Jeanです。

今夜のあなたへの英語レッスンは、ついさっきスカイプレッスンでやった、ちょっと難しいこういう表現。

Employers should compensate their workmen for injuries.

どういうこと??

雇い主は労働者の傷害に対して、補償しなければならない。

覚えたい単語

compensate : 補償する

injury : 傷害、けが

はいはい、さてさて。

今日は、珍しく仕事が4時に終わり、小学校から帰ってくるムスメにおかえりって言えるなぁ、とほくそえんでいたところ

4時40分ごろ

ムスメ「ただいま。」

私「おかえり。」

ムスメ「あれ?なんでママがいるの?」

私「今日、もう仕事終わったんだー!」

ムスメ「へー、そうなんだ。あたし、友達と遊ぶ約束してるから、もう行かなきゃ。じゃぁね。」

私「あ、そう。。行ってらっしゃい。。」

こんな日が来るのはわかっていた。

わかっていたが、意外と早いぞ、子どもの成長は。

論文を書こうと思っていたけれども、やっぱり晩御飯作るか、と思い、誰かから送ってきた讃岐うどんをJeanアレンジで作ってみたら、

うまいじゃないかぁ!

こんな寒い日にぴったりじゃないかぁ!!

私も、本気出せば、料理できるじゃないかぁ!!!

ま、うどんの味は、ついてたうどんスープですから。

まずいわけはない。

ホームページのことをやったり、生徒さんのお母さんにメール書いたり、オーストラリアのことをやったり、ダンスの大会のエントリーやらをしていたら、いつもの時間になってしまった。

ま、それでも、普段よりは、子どもと過ごす時間が増えてよかったなと思った本日。

クリスマスまでもう少しですね。

今日行ったインターナショナル幼稚園で、帰り際にみんなが

「Jean, Merry Christmas!」

「Jean, Happy Christmas!!」

「Jean, Happy new year!!!」

って、言ってくれて、なんだか年の瀬を感じました。

最後に、8歳のムスメの最近の悩みは、

「ねぇ、今年、サンタさんに何を頼もうかな。」

というやつで、

サンタクロースは本当はいないんじゃないか?

と聞かれたことは、まだ一回もない。

でも、そのときに備えて、こんな素敵なストーリーをご紹介。

社説原文】サンタクロースっているんでしょうか?(大久保ゆう訳)

“DEAR EDITOR: I am 8 years old.

“Some of my little friends say there is no Santa Claus.

“Papa says, ‘If you see it in THE SUN it’s so.’

“Please tell me the truth; is there a Santa Claus?

“VIRGINIA O’HANLON.

“115 WEST NINETY-FIFTH STREET.”

「こんにちは、しんぶんのおじさん。 わたしは八さいのおんなのこです。じつは、ともだちがサンタクロースはいないというのです。パパは、わからないことがあったら、サンしんぶん、というので、ほんとうのことをおしえてください。サンタクロースはいるのですか?  ヴァージニア・オハンロン」

VIRGINIA, your little friends are wrong. They have been affected by the skepticism of a skeptical age. They do not believe except [what] they see. They think that nothing can be which is not comprehensible by their little minds.

All minds, Virginia, whether they be men’s or children’s, are little. In this great universe of ours man is a mere insect, an ant, in his intellect, as compared with the boundless world about him, as measured by the intelligence capable of grasping the whole of truth and knowledge.

 ヴァージニア、それは友だちの方がまちがっているよ。きっと、何でもうたがいたがる年ごろで、見たことがないと、信じられないんだね。自分のわかることだけが、ぜんぶだと思ってるんだろう。

でもね、ヴァージニア、大人でも子どもでも、ぜんぶがわかるわけじゃない。この広いうちゅうでは、にんげんって小さな小さなものなんだ。

ぼくたちには、この世界のほんの少しのことしかわからないし、ほんとのことをぜんぶわかろうとするには、まだまだなんだ。

Yes, VIRGINIA, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy.

Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus. It would be as dreary as if there were no VIRGINIAS. There would be no childlike faith then, no poetry, no romance to make tolerable this existence.

We should have no enjoyment, except in sense and sight. The eternal light with which childhood fills the world would be extinguished.

 じつはね、ヴァージニア、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。

もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。

サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩をたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。

Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies! You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas Eve to catch Santa Claus, but even if they did not see Santa Claus coming down, what would that prove? Nobody sees Santa Claus, but that is no sign that there is no Santa Claus.

The most real things in the world are those that neither children nor men can see. Did you ever see fairies dancing on the lawn? Of course not, but that’s no proof that they are not there. Nobody can conceive or imagine all the wonders there are unseen and unseeable in the world.

 サンタクロースがいないだなんていうのなら、ようせいもいないっていうんだろうね。だったら、パパにたのんで、クリスマスイブの日、えんとつというえんとつぜんぶに、人を見はらせて、サンタクロースが来るかどうかたしかめてごらん。

サンタクロースが来なかったとしても、なんにもかわらない。だってサンタクロースは見た人なんていないし、サンタクロースがいないっていうしょうこもないんだから。

だいじなことは、だれも見た人がいないってこと。ようせいが原っぱであそんでいるところ、だれか見た人っているかな? うん、いないよね、でも、いな いってしょうこもない。世界でだれも見たことがない、見ることができないふしぎなことって、ほんとうのところは、だれにもわからないんだ。

You may tear apart the baby’s rattle and see what makes the noise inside, but there is a veil covering the unseen world which not the strongest man, nor even the united strength of all the strongest men that ever lived, could tear apart.

Only faith, fancy, poetry, love, romance, can push aside that curtain and view and picture the supernal beauty and glory beyond. Is it all real? Ah, VIRGINIA, in all this world there is nothing else real and abiding.

あのガラガラっておもちゃ、中をあければ、玉が音をならしてるってことがわかるよね。でも、ふしぎな世界には、どんな強い人でも、どんな強い人がたばになってかかっても、こじあけることのできないカーテンみたいなものがあるんだ。

サンタクロースっているんでしょうか?サンタクロースっているんでしょうか?

むじゃきな心とか、詩をたのしむ心、愛とか、人を好きになる心だけが、そのカーテンをあけることができて、ものすごくきれいでかっこいい世界を見た り、えがいたりすることができるんだ。うそじゃないかって?ヴァージニア、これだけはいえる、いつでも、どこでも、ほんとうのことだって。

No Santa Claus! Thank God! he lives, and he lives forever. A thousand years from now, Virginia, nay, ten times ten thousand years from now, he will continue to make glad the heart of childhood.

サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。

※ その後、ヴァージニアはニューヨークの学校の先生になって、47年間子どもたちを教えつづけたという。

ま、日本の家には、煙突はないけどもね。

もっと日本の子に向けたいい話を次は探しておこう。

Merry Christmas!!

Jean

追記

こんなんもあった。
「サンタクロースなんて、本当はいない。あれは、お父さんとお母さんがプレゼントを買ってきてくれるのさ」

幼い頃、近所や学校の友達の間で、にわかにそうした情報が流れ始め、見る間に優勢になっていった。そういえば、ウチには煙突なんてないし、夜寝るときには鍵をかけている。サンタさんは一体どこから入ってくるのだろう? 確かにおかしい。

「そうか、きっと、サンタクロースなんて本当はいないんだ。今までころっとだまされてたんだ」

こうして、子供はだんだん大人になっていく。サンタクロースを否定することが大人のシルシとでもいうように。しかし、サンタクロースを否定したところで、それが何になるというのだろう。

「サンタクロースって、本当にいるの?」 「本当はお父さんなの?」 子どもにこう聞かれたら、何と答えたらいいだろう。私は、まだ自分に子どもができるずっと前から、決定版ともいえる答えを用意していた。

サンタクロースは、本当にいるんだよ。それはね。今で言えばトルコという国に住んでいた、セント・ニクラウスさんという人だった。

セント・ニクラウスさんは、神様に祝福された人で、子どもが大好きだった。クリスマス・イブになると、子どものいる家を回って、戸口にプレゼントを置いていってくれたんだ。子どもたちは、プレゼントをもらって、とても幸せだった。

でも、セント・ニクラウスさんも人間だから、歳を取って、ついに天国に行っちゃった。それで、大好きな子どもたちに、自分でプレゼントを配ることができなくなっちゃった。

で も、セント・ニクラウスさんは知ったのさ。生きている間は、近所の子ども達にしかプレゼントを配れなかったけど、こうして天国に来てみると、愛の心を地上 に送ることで、生きていたときよりずっと多くの子ども達にプレゼントをあげることができるってことをね。それって、素晴らしいじゃないか。

だから、セント・ニクラウスさんは、クリスマスが近づくと、天国から世界中のお父さん、お母さん、そしてお父さん代わり、お母さん代わりの人たちに、「子ども達にプレゼントをあげて、キリスト様の誕生日を祝おう」 って、 「愛の心」 を送るのさ。

それで、お父さんとお母さんは、君たちにプレゼントをあげるけど、それは、 「愛の心」 を受けて、セント・ニクラウスさん、つまり、サンタクロースさんに成り代わってのことなんだよ。それに、サンタクロースの代わりになるのは、お父さんとお 母さんにとっても、とても嬉しいことでもあるしね。

つまり、サンタクロースは、本当にいるのさ。天国にね。セント・ニクラウスさんが、ちょっとなまって、サンタクロースと呼ばれるようになったんだよ。

小学校 1年生のクリスマスイブの夜、私は布団の中でひたすら寝たふりをして待った。サンタさんには、ハーモニカのプレゼントをお願いしておいた。そのお願いを、サンタさんはどうやって知ることができるのだろう?

眠くてたまらなくなった頃、母の来る気配がして、枕元にそっと何かを置いたのがわかった。私はゆっくりと目を開いた。そこには、確かにハーモニカの大きさの細長い包みが置かれていた。

私はサンタクロースが母親だったことで、それほどのショックはなかった。欲しくてたまらなかったハーモニカがもらえたことの方がうれしく、その包みをあけて吹き鳴らしたくてたまらなかった。朝までどうして我慢できるだろう。必死に我慢しているうちに寝入ってしまった。

夜が明けて、クリスマスの日。夕方までに、知っている曲はたいてい吹けるようになっていたので、仕事から帰ってきた父と母は、本気で驚いた。サンタクロースが喜んでくれたような気がした。

父と母がサンタさんだと知っても、幻滅はしなかった。赤い服を着たサンタクロースのイメージは、消え去らずに残った。

その時のイメージが、時が経って醸造された。20歳を過ぎた頃には、自分の子どもの質問にどう答えようかなどと迷うことはないと確信した。答えの準備はしっかりとできていた。そして、実際にこのように説明した。

この世で本当に大切なのは、「目に見えないもの」 である。目に見える形で直接的にプレゼントをくれるのは、父と母 (あるいは、その代わりの人) であっても、その背後には、世界を包むとても大きな愛の心があることを、クリスマス・イブには知ることができるはずなのである。

おやすみなさい。。。

Jean * – * 23:17 * comments(0) * trackbacks(0) * –

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